菅一乗のブログ『往生極楽のみち』

人生を丁寧に、そして一生懸命に生きていく

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やばいよやばいょぉ~

週間天気を見て愕然とした。今週末はWTCCが開催されるのに・・・

過去2年間は大会当日が雨でした。だからこそ、今年こそ晴れて欲しいのです!が、週間天気をよく見てみると、なんと今年は台風も来そうな気配もあります。

もう本当にやばいよやばいよ~



と言うことで、明日からお仕事で岡山国際サーキットに行くこととなりました。皆様、岡山国際サーキットでWTCCが開催されるのは今年が最後です。ぜひ見に来てくださいね!

WTCC岡山大会その6884

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分陀利華

分陀利華
大学で一緒に学んでいる生徒さんの中に、ご年配の女性の方がいらっしゃいます。すごく熱心な方で、ご実家のお寺の仕事をこなしつつ、大学に毎日通われて勉強されています。その方の研究発表のレジュメに興味深いことが書かれていました。どんな話かというと、蓮の花の話です。蓮の花と言っても、車のLOTUSの事ではなく、汚い水辺にしか咲かない蓮の花のお話し。

「分陀利華」とはなにか?サンスクリット語でプンダリーカ。プンダリーカを音写して分陀利華。

白い蓮の花に譬えられる人。白い蓮の花のような人。念仏者のこと。蓮の花はいろいろあるけれど、特に白い蓮の花をプンダリーカという。泥田の中で泥に染まらない。美しい人。香り高い人。

泥とは煩悩。欲望。煩悩の娑婆世界の汚い世の中にいて、嫌だと言って抜け出すのではなくて、泥田の中にいて清らかな花を咲かす。そういう人が念仏者である。そういう人、弥勒(弥勒菩薩)と同じ人。



このレジュメに目を通したとき、すごくいいなと感じました。いいこと言われてるなと。

そして分陀利華というと、私たちが毎日のお勤めであげる帰命無量寿如来 南無不可思議光で始まる『正信偈』というお経の途中にも「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華」とあります。現代語に訳すと、善悪に関係なく、阿弥陀如来の本願を聞いて信じる人すべてを、お釈迦様はすぐれた智恵を得た者と讃え、その人を「分陀利華」のような人とお褒めになられました。と、言うような感じです。

私も分陀利華が似合うような人になれるよう頑張ろうと思いましたよ。
のらうしその4

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荒れたレースだったが無事に終了

先週末のF日本、F3それにASIAN-GTが無事に終了しました。

私は週末を通しセーフティーカーを担当させて頂きました。セーフティーカーが忙しいと言うことは、それだけ荒れた展開のレースだと言うことですが、今大会はまさにその通り。何度も出動し、レースの合間にセーフティーカーとコントロールタワー4Fを何往復もしました。

荒れたレース展開にもかかわらず、大きな事故や怪我をする選手もいなくてホッと一安心です。

注目してたF日本では、井口くんが見事にポイントゲット!本当に良く頑張った!2年前から一緒にWTCCのお仕事をしてるケイも今大会は抜群に速く入賞!F3では水前寺出身の吉田くんが3位表彰台で、こちらも良かったです。

それから注目なのはASIAN-GTで、1レースあたりのレース時間が短く、耐久ではないので常に全力疾走で見てて退屈しません。特にディランタが走ってるのにはビックリした!

ブランズハッチ308
F3かっこいいです。写真はイギリスF3の写真ですが、車の大きさ、エンジンパワー、タイヤのグリップ、エアロダイナミクスがちょうど良い感じです。が故に、奥が深く、突き詰めていくと難しい車のように感じます。ちなみに、オートポリスの400メートル下りストレートの先の右コーナーではほとんどブレーキは踏まないらしいです。シフトダウンでリアを安定させ、そのままフロントウイングに風を当てながら曲がると言ってました。ブレーキを踏みすぎると、車が失速し、その結果フロントウイングに当たる風の量が減って、逆に曲がらなくなるとのことでした。う~ん、難しい・・・でも楽しそう。


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来年もF1行かなきゃ

鈴鹿のF1グランプリを観戦してきました。木曜日の夜に鈴鹿入りし、サーキットには金曜日の午後から行きました。サーキットに到着して驚いたことは、フジテレビの看板広告が一切無いこと。内心『やはり9月上旬に聞いた噂は本当だったか』と不安がよぎりました。

今年は1~2コーナーで観戦しました。REDBULLの2台と、ルノーのクビサ、ウイリアムズのバリチェロが驚くほど速かったですよ。この1~2コーナーの席は、1コーナーの飛び込みからS字の進入までが綺麗に見渡せるからいいですね。クラブマンレースの時もこの場所から観戦することが多いです。


レース直後1245
スタート直後にマッサとトニオが接触する。

まっさ2
たぶん、何が起こったのかまだよく理解してないと思う。この後、場内のモニターで状況を把握していた。

たそがれる
1コーナーでたそがれるマッサ。『わかるよその気持ち。僕もトップを走りながら単独でコースアウトした事が多々あるもん』

帰宅
帰っていくマッサを見て、ぜひ母国のブラジルGPで勝って欲しいと思いましたよ。


レースは皆さんご存じの通り、カムイが本当に良いレースをしました。まさにFantastic!それから左近もヴァージンのグロックやLOTUSのトゥルーリを上手に押さえて走っていました。左近すごかったですよ。車の限界を超えて頑張りました。Good job!毎朝ホテルで左近のお母さんと朝食が一緒でしたが、お母さんの願いが通じたか!

レースウィークで一番笑えたことは、僕の隣に座ってたおばちゃんは、初めてF1を見たらしく、走る左近に向かって「右近さ~ん、頑張って~」って・・・右京さんと左近の名前がごっちゃまぜになってて、「片山右近」さん、「山本左京」さんと言ってました。そりゃ~右か左かって事もあるけど、ウコン・・・左京って・・・本人たちが聞いたら絶対に怒られると思いましたよ。横に座ってたおばちゃんもNice Joke!

なにはともあれ、来年もF1に行こうと思いました。
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長い文章なので、読みたい人だけ読んでください

ブログのテーマを変えました。以前は『ไม่เป็นไร』(マイペンライと読み、タイ語で「気にするな」とか「問題ない」と言う意味があります)と言うタイトルでしたが、今日から『往生極楽のみち』というタイトルに変更しました。


なぜブログのテーマを変更したかというと、私は僧侶になるために勉強をしてる途中ですが、当初は「地獄」について研究をしていました。そもそも「地獄」とは?やがて研究を重ねるにつれ、多くの発見がありました。「地獄」とは私たち自身が様々な煩悩を持つ事により、落ち込んでいく世界である。また、「地獄」と言う世界は現実にあり、いま私たちが生活している場所、人間が人間としての在り方を失った境界であり、幸せになろうともがくことで、いよいよ不幸に陥ちこんでいく悲惨な状況である。私が学んだことは、私たちは地獄・餓鬼・畜生の世界で生きていると言う事実である。


では、そんな地獄に住んでいる私たちは、どのように救われていくのだろうか?救われた後は果たしてどうなってしまうのだろうか?という疑問が湧きました。そこで地獄の次に研究したのが、地獄の反対である極楽を研究してみることにしたのです。

 
極楽と言う語句を辞書で調べると、必ず「往生極楽」という語句が出てくる。同じく、往生の語句を辞書で調べると、必ず「極楽往生」と書かれている。そもそも往生や極楽とはなんなのだろうか。

世間一般の方が「往生」という言葉で連想するものは、「電車が止まって往生した」とか、「二日酔いで往生した」と言うように、自身の身の回りに起こる良くない状態を周囲に説明するときに使われることが多く、良い意味で「往生」という言葉は使われていない。逆に「極楽」で連想するものは「風呂上がりのビールは極楽だ」とか、お湯につかった瞬間に「極楽、極楽」と自身にとって心地よいことや良い結果が生じたときに「極楽」という言葉を使っている人が多いのではないだろうか。果たして「往生」や「極楽」の本当の意味とは、現代人の使う言葉通りなのか、もしくは全く別の意味があるのだろうか。


往生とは
「往生」という言葉は往復の「往」と言う字で、目的地にユクという意味である。そして往生の「生」と言う文字は生まれると言う意味である。どこに往って生まれるのかと言うと極楽に生まれると言うことである。
   
この往生という言葉は、「往(ユク)」という字に「生(ウマレル)」という字を書きます。どこに行くのか、どこに生まれるのかというと極楽に生まれると言う事です。(『歎異抄講義・上』)
 
極楽とは
「極楽」と言うのはどういう意味かというと、極楽の「極」とはキワメルやキワミとも読む。それ以上は望めない状態まで達する事や、展開して行き着いたところ。それに「楽」という字を付けると、楽の極まり、これ以上のない楽しみが待っている世界が極楽の世界である。

極楽というのは何かというと、楽の極まり、最高の楽しみというのが極楽です。(『歎異抄講義・上』)
   
経典では極楽についてこう書かれている。
   従是西方、過十万億仏土、有世界、名曰極楽
   (これより西方に、十万億の仏土を過ぎて、世界有り、名づけて極楽と曰う)(『阿弥陀経』)
現代語に訳せば、(これより西の方角、十万億土のはるか彼方に極楽浄土という国がある。その極楽はこの世の楽しみなどとは比べられないほどの真の楽しみが待っていて、幸せの世界があり、それが極楽である)と経典には説明されている。

その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまう。舎利弗、かの土を何のゆえぞ名づけて極楽とする。その国の衆生、もろもろの苦あることなし。但もろもろの楽を受く、かるがゆえに極楽と名づく。(『阿弥陀経』)
 
つまり極楽とは阿弥陀の住する世界のことだ。

こうして「往生」や「極楽」について調べてみると、現代人が日常使ってる言葉の意味と、本来の語句の意味が違うのである。


私たちは普段地獄で生活してるわけだが、その地獄生活の中でも一瞬極楽と思えるようなことは多くある。例えば歩き疲れたと思ったとき、目の前に椅子がある。私たちは「休憩しましょう」と椅子に座って休憩を取ることが出来る。また、お腹が空いたときには「食事にしましょう」と食事を頂くこともできる。室内が暑いと感じたらエアコンを付ければ涼むことも出来る。のどが渇いたと感じたら水を飲むことも出来る。地獄で生活してると言っても、数多く「極楽」と感じられることがあるのだ。
 
ところが、そのまま飲み食いをしてると、やがてお腹一杯になり、それ以上は身体が受け付けなくなる。エアコンを付けっぱなしにした部屋に長くいれば逆に身体も冷えてくる。お酒も美味しいと思ううちはいくらでも飲めるのだが、やがて酒に飲まれて気分が悪くなる。自分が「極楽」と感じてることは、以外と長くは続かないのである。と言うことは、人が生きていく上での基礎である衣・食・住の楽しみには限界があると言うことである。衣・食・住に限らず、お金は無いよりも有る方がよいと思うが、あればあるで、様々な苦しい思いをしなければならないし、子供がいれば賑やかだが反面、面倒もみなければいけないし、責任も出てくる。私たちの思う「極楽」は、無常で相対的なのである。まさに「人生楽ありゃ苦もあるさ」という歌のとおりである。これは本当の極楽ではなく、私たちの表面上の願いから生まれた極楽の世界である。

では本当の楽とはなんだろうか。楽とはたのしい、こころよいことで、心身ともに安楽であることをいう。また苦に対する語でもある。そして、涅槃や悟り、解脱の境地という意味もある。

真の楽を求める心の底からの願いに応えてある世界、それが「極楽浄土」である。極楽浄土の本当の幸せに比べたら、私たちの表面上の幸せなど、本当にちっぽけなものである。なので、「真のさとりの世界」が極楽であり、そこに往って、生まれるのが「往生極楽」ということである。命終わるときが極楽浄土に往き生まれるときであれば、命終わるときが往生ということになる。世間一般的に「死ぬ」や「亡くなる」という言葉が好まれないので、「往生」というようになった。やがて「往生」といえば人が亡くなること、として使われるようになったのである。

しかし、歎異抄の第二章の始めに書かれている
   おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。(『歎異抄』)

と書かれているが、それは親鸞聖人の門弟たちが親鸞聖人のもとへ困ったり、死んだりするために訪ねていったのではなく、真実を求めてやってきたのである。往生極楽のみちを問うてきたのである。真の救いということについて問いにきたのである。「往生」と示してる言葉は「往く」、「生まれる」、そして「生きる」という言葉の意味も隠されている。 
 
また往生というのは、極楽に向かって歩いている状態でもある。例えば、生きとし生けるものすべてがいつの日か必ず寿命が来るように、私たち人間も生まれたときからすでに往生極楽のみちが始まっているということではないだろうか。つまり「往生」とは「真の生き方」を意味する事である。よって 往生極楽のみちは「真の救い」と言う意味でもある。往生極楽したということは、もう仏様になるということである。仏様になると言うことは、真のさとりを頂くことである。これは往生極楽の結果である。



ここまで読んで頂いた皆様、長文をお読み頂きありがとうございます。いかがでしたでしょうか?これからは次のステップとして、『往生極楽のみちを歩む』という事で更に研究を進めていきたいと思っています。

私が研究したことをもっとわかりやすく説明すると、この世に生を受けた瞬間から往生極楽へのみちが始まってるということです。いまこの瞬間も、往生極楽へ一歩一歩歩いていってる途中なのです。「往生」という語句は私たちが日常に使ってる意味とは違い、決して悪い意味ではなく、極楽へ往って生まれると言う意味なのです。人生を丁寧に、そして一生懸命に生きていくことで、さらに充実した毎日が送れるのではないかと思い、今日のブログのテーマ変更と共に、研究の内容を一部書き出してみました。
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ラストラーダ走行会→セナイベント

土曜日の夜に大阪のラストラーダさんに行きました。お店には沢山のレーシングウェアなどが展示されてるので、見てるだけでワクワクします。そして本当に珍しい自転車もありました。

sparco自転車
この自転車、ドライカーボンと言う素材で出来ています。F1マシンやロケットなどに使われてる素材と同じ物で、強くて軽く、この自転車も片手で持ち上げる事が出来ました。写真じゃわかりにくいのですがタイヤもちょっと普通と違うんですよね。



日曜日は朝から岡山国際サーキットで今年3回目のラストラーダCUPが開催されました。天候は生憎の雨。ですが、そんな雨をものともせず、参加台数120台オーバー!なぜこれほど台数が集まるのかと言うと、参加者全員のマナーが良い事がひとつ、たっぷり走れる事がふたつ、現役のGTドライバーが秘技伝授してくれる事がみっつ、じゃんけん大会の賞品が良いのがよっつ、昼食が美味しいのがいつつ・・・まだまだ沢山ありますよ♪

そして今年のラストラーダCUPの最終戦は12月29日(水曜日)です。今回は九州でロードスターCUPに出場されてるKさんがお越しになられてました。ぜひ九州からも多くのドライバーさんが参加して欲しいです。



月曜日は博多でアイルトン・セナのイベント「FESTA DE SENNA」がありました。ゲストに中島悟さんや井口卓人くんも来場され、ラジオの公開収録や、先日もブログに書きましたセナのドキュメンタリー映画の予告も放送されたりと盛りだくさんのイベントでした。僕はいつものように飲み過ぎて・・・そのあとの事は笹栗さんに聞いてください・・・



みなさん、セナの映画見てくださいね。ドライバーとして、人間として、丁寧にそして一生懸命に生きたセナのドキュメンタリー映画です。それから12月29日のラストラーダCUPも宜しくお願いします。

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飲んで、酔って、レース見て

昨日、家に今年のFESTIVAL OF SPEEDのDVDがエアメールで届いた。

GWFOSDVD.jpg

DVDを見て、改めてFESTIVAL OF SPEEDの興奮がよみがえる。しかし当たり前の事だが言語が英語で字幕もない。ネイティブスピーカーの話すスピードがとにかく速い。

ジェンソン・バトンが「1987年のプロストのマシンに▲%℃∮㏍●#・・・」なんと言ったんだ?
ブルーノ・セナが「叔父のマシンが$●◇〒♀・・・」とりあえず焼酎飲むか。
ジャッキースチュアートが「この歴史あるGOODWOODの■&仝★♪§¶・・・」酔ったばい。

すでに僕のヒアリング能力の限界を超えていた。日本にいたら耳が日本語の耳になってしまい、ヒアリング能力が極端に落ちる。たまにBBCのニュースなど見てるが、それ程度では補えない。大学の英語の先生は「DVDを借りてきたら、まず最初に字幕なしで見なさい」と言ってたが、今ではその言葉の重みがよくわかります。




そう言えば、
eat_pray_love_.jpg
ジュリア・ロバーツさんの「eat pray love」(邦題:食べて祈って恋をして)を見たが、僕の五感をくすぐる内容の素晴らしい映画でした。

エリザベス・ギルバートが自らの体験をつづった世界的ベストセラー「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」を、ジュリア・ロバーツ主演で映画化。ニューヨークで活躍するジャーナリストのエリザベスは、離婚や失恋を経験し、35歳で人生をリセットするために1年間の旅に出る。イタリアで“食”に魅せられ、インドで瞑想にふけり、最後に訪れたインドネシア・バリ島では運命的な恋に落ちるが……。

この映画、僕的にはおすすめです。





Quiero ver la concierto de sakira.
キエロ ベール ラ コンセルト デ シャキーラ
シャキーラのコンサートが見たいなぁ


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